S川F樹の亡霊2
オーディオ業界は、Mark Levinsonがある意味ブレークスルーになって、一部の超高額機器のインフレが現在まで延々と続いている。実に羨ましいと言うか驚くべき事である。それまでは¥100万と言うのがある意味リミッターだった。
最近、ネットや某月刊誌・季刊誌面に、もう既に鬼籍に入っている人の名が頻繁に見受けられる。多くのスター(?)評論家が健筆を振るった時代は、その手の多くの誌面を埋めつくしていた。それぞれが独自(身勝手とも言う)の主義主張や音楽観を披露しつつ何故か決して排他的でもなく、多くの購読者を魅了した。だがそれから40年、今や数名を残すばかり。
昨晩書店で復刻?されたS川氏の本を立ち読みしたが、S誌の様に不快になるかと思いきや実は正直相当「懐かしかった!」。だが購入する価値があったかとういうと、全く無い!。
裕福だったのだろう。グッドマンからロジャース、アルテック、タンノイ、JBLマルチとほとんど手当たり次第だった彼、晩年はJBLモニターとマークレビンソンに。
偶然か、先日五味康祐の復刻文庫を読んだばかり。さすがの文筆家五味康祐の快刀乱麻の文章と経験値はいまだ魅了される。これに比べれば、「オーディオ評論家」は皆軽薄である。しかし(秘密裏に?)アメリカから直に入手していた五味康祐は、マークレビンソンの彼の価格が倍だった(五味康祐は個人輸入していた!)のにかなり腹を立てていた。
高額輸入車をみても、日本は高額信仰が健在なのだ。
JBLモニターとBBCモニターを併用していた時期のS川F樹は決して嫌いではない。何故なら、先日廃棄処分したJBLは彼の文章に納得していたからに他ならない。
倍々の法則?
奇妙なことに「気になるもの」って、常に同じ価格帯ではなく、ある程度広い範囲に跨がっていることが多い。確固たる信念が無く脈絡がない証拠ってか??<撃沈。
今春、ビンテージ品を入手し取りあえず使用しているのだが、やはりもっと大きいのが望ましい。オーダーする話でもないが、自分なりにイメージしている範囲のものが良いのだ。
現時点で候補を絞ると実は3機種になる。一番高いヤツは当然新品で買うわけには行かないので中古価格を見て、二番目のリビルド品を見るとその半額。そしてその下はビンテージ品なのだが、付属品を含めると更にその半額。部屋の容量に余裕があればもう一台欲しい中古品が売りに出されているが、それは更にその半額。
妄想しているタイミングが一番楽しい・・・(核爆)。
なおこの画像は本文と直接関係はありません。念のため<爆
S川F樹の亡霊
決してサイエンス・フィクション関連の話題ではない。オーディオ評論(家)についてである。
最近特に気になるのは、彼(ら)の亡霊の話題をしばしば目にすることだ。彼(ら)の文章がもてはやされ、今また昔を懐かしむ奇妙な連鎖が起きている。「昔は良かった」って?。
更に問題なのは彼だけではなくI崎C明(この際敬称は省略、だって、例えば今話題の村上春樹だって本人の前で無ければ基本呼び捨てでしょ。)もだ。
確かに情報も物量も少ない時代だったし、そもそも彼ら(の文章も)には人を引きつける大きな何かがあったのは事実だ。かく言う私もS川氏の「文章」にかなり影響され、先日処分したJBLのモニタースピーカを購入したのだから。だが、彼らの「文章」を全て受け入れたわけでないし、むしろ後年の彼の音の好みに違和感を覚える部分も多くあった。だが、評価軸に関してはかなり参考にしていたのも事実。
現代の情報も物量も過多な時代に彼らが今も生きていたら、どう生き残れたかははなはだ疑問。むしろ不足していた「古き良き時代」だったからこその「良さ」だけが光っているに過ぎない。
かつてオーディオ評論家は、ラジオ少年や技術者崩れ、あるいは録音技師やレコード解説者たちだったが、今や単なる元雑誌編集者なのだ。適正か非適正かあるいは好きか嫌いかを別にしても、そいつらが「先生」なんて言うのも言われるのを聞くのも全く持って奇妙だ。