音楽・芸術の最近のブログ記事

 前回からの続きですが、一部をご紹介します。特に解説は付けません。
 
 結構好きな内容でしたので、かなり楽しめました。
 
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美術館巡り

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 予定が変わったと言うか、予定通り予約が入っていなかったので、フリーに。で、ホント珍しく行ってみたい美術館へ。
  
 一番の目的は国立新美術館でのこの展覧会。テレビでやってましたから、そりゃあ、もう、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、生で視たいっす!!

しかし時間の余裕もあるので、もう一つ欲張っちゃって…こちらも!。

 
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この近くは良く通ります。大学が比較的近いこと、塾の会場に行くのにこのすぐ傍の北の丸で首都高を降りること、親しい友人がこの近くに居ること。


最初にお断りしますが、美術館は当然写真撮影など禁止です。ところが、最初に出向いたこちらは、なんと基本的に写真撮影OKです!。お〜、太っ腹〜

ですので、画像はこの付近だけですので、あしからずご了承ください。

 
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ただ、この橋が「竹橋」と言うのは、今回初めて知りました。お、遅い〜
橋の向こうは毎日新聞社本社。そして地下鉄東西線竹橋駅があります。
 
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ここが有名?な??

いや、小泉八雲の「むじな」の紀伊国坂はここではなく、赤坂の方だそうです。
 
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目的はこれ。
 
 
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そして目指す建物がこちら。脇を通り過ぎること、何百回でしょうか…(笑)
 
 
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 6/27レイモン・ルフェーブル氏が亡くなった。78歳。一昨年のポール・モーリアに続く、イージーリスニングの巨星の逝去。残念です。


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 私は「イージー・リスニング」という言葉が好きだ。Easyと言う言葉の軽さ?を非難する方もいらっしゃるようだが、もはや好きなように聞けばよい、楽しんで聞いてくれ、リラックスできるでしょ、と言うスタンスが私には心地好い。

 ポール・モーリア、カラベリ、フランク・プゥルセルらとイージー・リスニング界を牽引してきた彼のアレンジは、極めて秀逸である。ただしどなたが言い出したのか知らないが、曲の「当たり」と「ハズレの」大きさも他のアーティストに比べ並ではない、と私も思うww。最も有名な「シバの女王」は、王者?ポール・モーリアさえ及ばない素晴らしいアレンジだし、ジェットストリームのエンディング・テーマだった「夜間飛行」も良い。蛇足だが、あの印象的なオープニングの「ミスター・ロンリー」はフランク・プゥルセル。放送初期には微妙なエコーがかけられていたと記憶しており、オリジナルを聴いて違和感をおぼえたことがある。


 ポール・モーリアと良く比較されるが、ピアニストのポール・モーリアがミレイユ・マチューをバックアップしていた事やシャルル・アズナブールのバックグラウンド・オーケストラをつとめたのに対し、フルート奏者のレイモン・ルフェーブルのデビューがダリダのバックグランド・オーケストラだった事やダニエル・リカーリと来日していたのも何となく似ているようだ。

 典型的な軽いポップスとか南米っぽいアレンジが多いポール・モーリアに対して、どちらかというとクラッシックの重厚さを残したアレンジが特徴だと思う。また自らディスコアレンジの曲を録音したディスコブームの際にも、レイモン・ルフェーブルは自らの路線をほとんど変えようとしなかったと記憶している。チェンバロ(ハープシコード)をイージー・リスニングに導入した感が強いのはポール・モーリアの方だが、反面意外にチェンバロを使った曲が多いのはレイモン・ルフェーブルの方だと思う。
 彼のステージの締めは、自作の「カデ・ルーセルCadet Rousselle」だったが、その後オープニングに変更なったようだ。「ただ愛に生きるだけUn Jour L'Amour」「想い出に生きるApres Toi」など、心に残る曲も多い。

 日曜日のNHKラジオはかま満緒の「日曜喫茶室」のテーマ曲は、レーモン・ルフェーブルの「Save Your Kisses For Me」。Brotherhood of Manがオリジナルのこの曲にも一言あるのだが、また何時か・・・。

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 懐かしい「ステレオ・ラボラトリー」シリーズだが、高音質(高レベルかも)の選択はレイモン・ルフェーブルの方。ポール・モーリアはディスコバージョンを45rpm盤で対抗したが、ユーザーが何を望んでいたのかをよく判っていなかったのだろうと思う。だがポール・モーリアの弁護をすれば、恐らく彼の十八番の「恋はみずいろ」や「エーゲ海の真珠」の録音が古かったか、マスターテープの音質が今イチだったのだろう。確かに当時の技術ではそのリカバリーは困難だったはず。

 有名な「シバの女王」だが、正確な発音は「サバ(Sheba)」に近いらしく旧約聖書に登場する国の女王とのこと。イエメン説とエチオピア説があるようだが、決して東アジアではない。ミシェル・ローラン作曲だが、恥ずかしながらミシェル・ルグランと混同していた私・・・。


 ご冥福を祈りたい。合掌

ウォルフガング

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 昨年2006年はモーツアルト生誕250周年でしたが、特にCDを聴いたりなんかしませんでしたね(ちょっと反省)。映画ではサプライズのミドルネームを挙げられて、一体誰なんだ〜?。だあって、音楽の授業では「ウォルフガング・モーツァルト」って習いますから。どうせ聴くならイントロだけのダイジェスト100曲なんかじゃあなくて、ちゃんと全部聴きたいですな。今年はTSUTAYAでじっくり借り出しましょう。


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 さて、今年2007年はピアノ誕生300周年だそうです(BS放送による)。「ピアノフォルテ」とか「ハンマークラーヴィア(独)」とも言われるそうですが、これまたなにか特集や催しなどがあるのでしょうね。
 個人的に良く聴くピアノ曲は、久石譲や服部克久の作品が多く、クラシックではドビュッシーが好きです。

 11/3ポール・モーリア氏が亡くなった。81歳。

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 古くは「恋はみずいろ」、一般的には「オリーブの首飾り」で極めて有名である。また、「イージー・リスニング」という言葉を広めた一人でもある。

 1970年代、それまで「軽音楽」あるいは「ムード音楽」と呼ばれていたジャンルに「イージー・リスニング」という呼ばれるインストゥルメンタル・ミュージックが登場する。つまり、ボーカルがメインでない音楽が、大きくクローズアップされたのだ。実はそれ以前にも、例えばラテン系のマント・ヴァーニー、パーシー・フェイス、ビリー・ヴォーン、サックスのサム・テーラー、トランペットのニニ・ロッソ、そして映画音楽(実はテレビドラマ主題曲でもなんだが)で有名なヘンリー・マンシーニなど、多くの演奏家は存在した。
 しかし「ラヴ・サウンド(ズ)」という振りで、洗練されたヨーロッパの都会風のアレンジで台頭してきた一団があった。それが、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・チャックスフィールド、フランク・プゥルセルらだ。

 AMラジオの音楽番組で、ポップスやロックを主体とする洋楽と歌謡曲の番組に二分されていた当時、FMが試験放送からステレオ放送を売りに登場する。AMとの差別をはかるため、クラシックや「ジェットストリーム」のような番組多かったのも特徴であった。特に深夜0時に城達也氏の印象的なナレーションで始まる「ジェットストリーム」は、ボーカルの曲を使わないことが基本だったと聞く。さらにFM東京では、土曜日の午前中にも30分番組だったが、詩の朗読や気の利いたナレーションでイージー・リスニングを流す素敵な番組があった。その雰囲気が好きだった当時高校生であった私は、タイマー留守録でそういう番組を聴きあさったものだ。

 話が横道にそれてしまったが、私がそんなイージー・リスニングにのめり込んだきっかけをつくったのが、彼の「ポール・モーリア」であったし、その時の曲が「エーゲ海の真珠」であった。エレキベースやドラムを使ってロックビートを効かせ、女性スキャットやピアノばかりでなくそれまで古典音楽でしか使われなかったチェンバロをちりばめ、ドラマチックな編曲を施したこの曲はまさにポール・モーリアの真骨頂である。


 私がポール・モーリアを始めとするイージー・リスニングにのめり込んでいたのは、高校生の頃だった。当時は日本中で人気があったこともあったうえ、なぁんと!千葉市で公演があると判り、喜び勇んでチケットを取り、公演日を待った。まるでデートの日を待ちこがれるように(苦笑)。そう言うときに限って不幸が訪れるもんだ。公演は土曜日だったのだが、朝から発熱があり学校から帰ってきてどんどん具合が悪くなりとうとう起きあがることさえも出来なくなってしまった。結局叔父にチケットを譲り、生ポール・モーリアと生エーゲ海は涙と消えた・・・。そのコンサートに行った同級生によると、レコードとは全く違う編曲であったとのこと。現実とする夢は消えてしまったが、夢のイメージが崩れなかったのは幸運だったかも知れない。ポール・モーリアはその後も何度も日本で公演を行い千葉にも来たが、その「こだわり」もあったのかもしれないが結局私にとっての生ポール・モーリアは実現しなかった。やはりレコードのアレンジが彼の全てであったから。不思議な話だと思われるかも知れないが、レコード(CD)の演奏=アレンジとステージの演奏が同じなのは今や常識だが、当時は異なるケースの方が多かったのだ。だからステージで「レコード(CD)と同じ(演奏)だ」と言うのは、私にとってとても大きな問題なんですよ。

 「ラヴ・サウンド」と言う言葉が生まれた1970年代後半、イージー・リスニングのミュージシャンがこぞって日本で曲をヒットさせ、来日公演しレコードを売りまくった。FM東京では「ジェットストリーム」だけでなく、まだマイナーだった小林克也氏の流ちょうな英語のサブナレーションがインパクトのあった「ラヴ・サウンズ・スペシャル」というプログラムも当然私のお気に入りだった。テレビでもほとんど同じタイトルの番組があって、特に衝撃的だったのは同じ「シバの女王」と言う曲をポール・モーリアとレイモン・ルフェ−ブルでクロスさせながら放映したことだった。まさに当時の人気を二分するスターの共演なのだから。当然最初にヒットさせた後者の方に人気があり、ポール・モーリアファンの私もこの曲に関してはルフェーブルのアレンジ方が好きだ。でもアレンジがかなり似ているんだよね、二人とも。

 その後ディスコブームで、ポール・モーリアもディスコバージョン「恋はみずいろ」と「エーゲ海の真珠」をヒットさせたが、オリジナルを上回ることは敵わなかった。蛇足だがこの手で成功したのは、パーシー・フェイスの「夏の日の恋'76」だと思う。

 最後にポール・モーリアを視られなかった同じ千葉県文化会館で、レコードと違わぬステージの生レーモン・ルフェーブルと生ダニエル・リカーリに感激したことを白状しておこう。それにもかかわらず、私自身における「ポール・モーリア」の「位置」は不動だったのは当然である。

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